明日香村万葉ツーリング
2012/09/22

 急に思い立って明日香へツーリングに行くことにしました。理由は女流万葉歌人
額田王の墳墓される古墳があるらしいから。額田王は大学の講義で万葉集を習った
ときに、初めて女性だと知ってから萌えてました。恋の歌が有名で大海人皇子と
中大兄皇子の間で三角関係もあったようです。才色兼備のスーパーヒロインです。
そうかと思えば白村江の戦いの出征に際し、国防をかけた歌も詠みます。娘の姫も
巻き込んで古代の関ヶ原、天下分け目の壬申の乱へ時代は動いて行きます。奈良は
近いので古墳目指してツーリングに出発しました。

片道距離は200kmない程度なので遠くはありませんが、早朝の
出発ではないので、必ず渋滞が発生する区間を通らなければなりません。
集中力を保つために、いつもは朝食を食べませんが今日はお腹に
食べ物を入れます。前夜、洗車しました。
スーパーヒロインに逢うためにきれいに仕上げます。準備万端でスタートです。

途中やはり渋滞につかまる。路肩工事中で裏技が使えない。でも
もともと近いのであっという間に着いてしまってはもったいない。
もっと引っ張る。名阪国道に降りて。伊賀で休憩。

針から明日香方面へ折れる。名阪国道とは趣が異なる。
宇陀へ近づくと、どこか盆地ライクな感じ、かと思うと、峠からさらに
眼下に盆地が広がったりする。当時の人々が集まりそうな雰囲気はある。
なんか、明日家路!道の駅宇陀路大宇陀で休憩。
ここから明日香村はもうすぐ。

目的地の墳墓に到着。里山みたいな感じでしょうか。かつては城というか
砦として使われていた時代もあるようです。高さは15m。
あくまで額田王の墓という伝承があるだけで、本物かどうかはわかりません。
近畿にはこのような古墳は星の数ほどあるのでしょう。
特に看板などもありません。問題はどこから登るか・・・。

入り口はあるようなのですがよくわかりません。どこから登るのか、
本当に登るのか・・・。眺めていると登るのを躊躇してしまいそうです。
しかし!近くには高松塚古墳や、キトラ古墳、石舞台やら、古代ロマン溢れる
遺構がたくさんあるなか、敢えてここに来たのです!額田王の片鱗にでも
触れずして帰るわけには行きません。気を持ち直して突入してみます。
目の前に小道みたいなものがあったので進んでみます。

こんなところを登っていきます。
ここはまだ携帯で写真をとる余裕があるところ。
倒木の下をくぐったり、細い竹のビンタをくらったり、なかなか大変です。
方向はわかりません。というか碑があるらしいのですが、場所も分りません。
多分あるなら、頂上?とにかく上を目指します。帰りの道を忘れたくないので
なるべくまっすぐ歩きたいのですが、足場はそれを許してくれません。
結構、左右に曲がります。これは、帰り迷うかも・・・、と思っていたら、

少し開けた道に出て、左手に碑のようなものが視界に入りました。思わず、
駆け寄ってしまいます。碑の両脇には花立みたいなものがあり、
枯れてはいましたが誰か花を供えてくれるひとはいるようです。
それを見て少し癒されました。

(後で歌を調べてみました。)
「いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が思へるごと」
調べてみると万葉集に収められた額田王の最後の歌のようです。
大化の改新からもうすぐ平城京遷都、といった激動の時代を過ごし、
周りの者たちも去って逝きます。残されたものは
ひとり昔を偲ぶしかないのかもしれませんが、老境とはいえ、
どこかその時代を生きたものの強い輝きを感じさせます。

碑の裏には云われ見たいなものが彫られています。
その中に「額田姫王」の文字。本当の墳墓ではないかもしれませんが
伝承はあるようです。持統天皇の文字。大海人皇子即位後、
天武天皇の皇后にして、その後を引き継ぎ即位した女帝。
この墳墓は後で調べると、額田王の孫がもともとの
墳墓を移したもののようです。

やっと大学のころから憧れたスーパーヒロインと対面です。
探し求めてやっと見つけた碑は、想像より小さくて、
周りの木立の中にぽつんと、佇んでいました。
本当の墳墓ではないかもしれません。
しかし当時のヒロインにしてはどこか寂しくもあります。
それでも、訪れる人はあるようです。
周りは木立に囲まれ、風がまったくないためか、本当に無音。
気温、季節のせいもありますが、目を閉じると体の境界が
分らなくなるような不思議な感覚です。碑でも触れてみようかと
思ってましたが、手を伸ばすことすらできませんでした。
花でも持ってくれば良かったのですが、気が利かないことをしたものです。

想像以上に情感を得られたので、次の目的地を決めました。奈良に向かいます。
そこには額田王と大海人皇子の娘、十市皇女が祭られる神社があるので
向かいます。昼時は過ぎましたが、昼食は奈良公園で食べることに決めました。
古墳を降りる際に、案の定道を間違えたようです。腐りかけた倒木を踏んで
バランスを崩し、崖からすべり落ちました。これが結構、滑る!止まらない!
目の前に竹が生えていましたが、かわせない!両足ではさむように、
金的を喰らって止まりました・・・。呪われています。崖はもう登れないので
先をみると、道路が見えたのでそのまま下って降りることにしました。
で、道路に出る直前、何か身体に引っかかりました。よく見ると有刺鉄線!
ジャケットにささります。ウェアがほつれています。
肌が出ていたら出血してます。

どう奈良に向かおうか悩みましたが、遺構エリアなので石舞台に
向かいました。が、これが観光渋滞。駐車場も満車。パトカーも
路駐防止対策でいたるところにとまってます。まぁ今回はパスです。
そのままクルマの流れに乗ります。棚田が広がります。
これが明日香地方の趣きなのでしょうか。日本の文化はここから
広がっていったと思うと感慨深い風景です。

なぜか混雑する道。不思議に思っているとあたり一面に彼岸花が。
この道の先で彼岸花祭りが催されていて交通規制がかかっているようでした。
彼岸花の写真も撮りたかったのですが、いたるところパトカーが
巡回していて、ゆっくり撮影できませんでした。

十市皇女の被葬地とされる塚があったようですが、その上に今は
神社があるとのこと。住所は奈良公園のそば。非常にまずい。
あのあたりの渋滞に巻き込まれることは必至。
案の定、いつものうんざりする渋滞のなかを進む。ファンも盛大に回る。
左手が悲鳴を上げる。ノンクラッチ走行をしてみるが、ツインは難しい。
20数キロの移動に結構時間を使ってしまった。
奈良公園のひとつの駐車場に到着。300円。高畑と書いてある。
目的地の神社も高畑という住所だった。歩いてみる。

地図ナビでみるとそんな遠くない?散策には調度良い距離。
秋分の午後、日差しもなく、歩くには申し分ないが、
ライダージャケット仕様。奇異な目で見られる。
ブーツだし、足が痛い。カフェなんかの脇も堂々と歩いてやる!

で、住宅街に入っていきます。なんか神社がありそうな雰囲気じゃなったので
調べた住所が間違えていたのかと、不安になりましたが、曲がり角に
ひっそりとお社がありました。

父が大海人皇子で母が額田王。かなりの属性もってます。
壬申の乱では夫と父が争うという、壮絶な経験をしています。
30歳前後で亡くなっているようです。
今日は、額田王の墳墓とその近くには天武天皇陵があったので、
ここに来る前に両親を訪ねてからきたわけです。親子巡って
万葉ツーリングは終了です。なんかこの当時の人々、輝いて見えます。

引き返して奈良公園に入ります。駐車料金を払っているので散策します。
係員のようなひとが、鹿に生えさをあげているところに遭遇しました。
集まり方が尋常ではありません。嗜好性が高いえさです。
でも猛々しいえさの奪いあいなどなく、草食獣って感じです。
この斑点、長い首、弱肉強食の底辺を感じます。

興福寺まで歩いてきてしまいました。2年前は家族旅行できました
今年のGWも奈良にきました。奈良に行き過ぎです。
これも藤原鎌足夫人、鏡王女が建てたとされる寺院で、鏡王女は
額田王のお姉さんとされる人物。何気なく歩いてきましたが、
このあたりの人間関係はどうしても絡んでくるようです。
大化の改新前後の古代ロマンを何気に満喫です。

気がつくと4時近い。奈良公園内の休憩所で遅い昼食です。
はじめは吉野へ下がって猪肉定食を考えていたのですが、
明日香から北上してしまったので
適わなくなりました。エネルギーを補給して帰りも一気走りします。
普段はコーヒーとか、コーラとかいきそうですが、
敢えてソフトドリンクで糖分補給です。

帰りは時間が遅くなったのでワインディングを通らず、高速で帰宅。
つまらないが、なんか高回転が吹けない。フィルターのつまりの予感。
社外のスポンジ製フィルターにしてからつまりが早い?1500kmで
フィールが悪くなる印象。本日も無事帰宅。

墳墓でしりもちを着いたのでジーンズを汚してしまったが、
なんか洗うのももったいない。やりたいことはやりきったので勲章です。

土曜日明日香から帰り、古代史が面白くなってきたところで近所のスーパーに
入っているような小さな書店で目に留まったのが古事記・日本書紀。何か
運命的なインスピレーションを感じて手に取りました。それが日曜日。
月曜の朝出勤しようと準備していると嫁さんがポストから
冊子を持ってきました。裏返すとなんと古事記!
キリスト教系の配布物はよくポストに入ってますが、
古事記はないでしょう・・・。
古事記の編纂を命じたのは天武天皇で、額田王の夫だった人。これまた
偶然以上の何かを感じます。きっと陵めぐりをした御礼でも
届いたんだと思います。古事記は神代の時代から推古天皇までの歴史が
まとめられたもの。日本書紀は天武天皇の治世まで書かれているので
額田王も1行程度ですが登場します。しかし、やっぱり彼女は
万葉集での存在感が圧倒的です。
10数年来の念願がかなったツーリングになりました。
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